「100年つづく企業は0.1%なんです」
取材前に送ってもらった創業100年の記念冊子。その一文に目がとまりました。
1919年に創業した株式会社ヤギセイ。
晒(さらし)の一大産地である大阪で、地域に根ざした産元問屋(さんもとどんや)としてはじまりました。
それから100年にわたって繊維を扱っています。自社工場を持たないファブレスの製造卸として、1980年代にはホテルリネン事業、2000年代にはオーダーメイドタオルの事業。時代に合わせて、新規事業を立ち上げています。
一つの仕事を5年続けるのだってたいへんなこと。100年会社が続くってどんなだろうと思いながらインタビューに臨むと、働く一人ひとりの「今日はこうしてみよう」の積み重ねの結果が、100年なんだと腑に落ちました。
今回募集するのは、オーダーメイドタオル事業のスタッフ。大阪、今治、そして世界トップレベルの技術を持つ中国のパートナー工場と、やりとりから納品まで。営業サポートや生産・商品管理を手がけます。
船着場だったから船場、馬を洗ったから洗場、波が寄せるから千波。諸説ある地名の由来が、いずれも水の豊富さを物語る大阪市・船場(せんば)。
豊臣秀吉が東西南北に巡らせた水路に囲まれ、繊維産業の企業が集まるエリアに、ヤギセイはある。
最寄駅の堺筋本町(さかいすじほんまち)駅から徒歩3分ほどのオフィスビル。その1階にある本社で30人ほどが働いている。
迎えてくれたのは、2023年7月に4代目社長となった岡本静香さん。社員のみんなからは「しづかさん」と呼ばれている。
かつて手ぬぐいを染める際につかわれた伊勢型紙などが並ぶ社内で、100年間の歩みを聞かせてもらう。
「水が豊富な大阪では、江戸時代に綿花栽培が発展してきました。水はけのよい土地で農家が木綿を育て、家族経営の工場で木綿生地に織る。その生地を水で漂白した晒が、ヤギセイのルーツです」
ゆかた、てぬぐい、おむつ、ふんどし、ふきん、ガーゼ。晒はかつて、日本の衣食住のありとあらゆる場面において、欠かせない必需品だった。
そんな晒産業が衰退していったのは、1970年代ごろ。
布おむつが紙おむつに、ふんどしがパンツに、てぬぐいがタオルにとって代わっていく。
そうしたなか、35歳で3代目社長となった司(つとむ)さんはホテルリネン事業を立ち上げた。
リッツ・カールトンや帝国ホテル、星野リゾートをはじめとするハイクラス宿泊施設にタオル、シーツ、パジャマを納品し、あらたな会社の柱として成長。
2000年に入ると、第2の柱が生まれる。それが、今回スタッフを募集するオーダーメイドタオルの事業。
「OEMの仕事がほとんどなので、制作事例を写真で紹介できないんです」としづかさん。国際的なスポーツチームやスポーツ大会グッズ、ナショナルブランドのノベルティ、紅白歌合戦で見かけるアーティストのライブタオル、そしてだれもが見たことのあるアニメ。社内には、見覚えのある制作事例が並んでいる。
そんなオーダーメイドタオルの事業をゼロからつくりあげたのは、転職して間もない社員だった。
入社20年目を迎える卸部の中川さん。生まれは大阪で、3つの仕事を経て、ヤギセイへ。繊維産業での仕事は未経験だったけれど、営業の腕が光った。
転職した当時をこう振り返る。
「先輩に紹介してもらったんです。司社長から『いいよ』と二つ返事で入社が決まったんですが、担当する仕事がなくて。自分で仕事をつくるところからのはじまりでした」
何がどう仕事につながるのか。用意されている正解はなかったから、とにかく人を訪ね歩いた。
そしてあるとき、大阪を代表するプロサッカーチームから「オリジナルのタオルをつくれない?」と相談を受けた。
「スタジアムで販売するオリジナルタオルを、1万枚つくりたいという依頼だったんです」
サッカーが大好きな中川さんは大喜びだったそう。
チームから手渡されたロゴやスローガンの印刷資料を持って、長いお付き合いのある大阪のタオル工場を訪ねた中川さん。試作を進めて納品すると、お客さんは大喜びだった。
「コスト面も意識しつつ、色のにじみがないか、プリントがズレていないか。たしかなクオリティに仕上げることを心がけました」
そういってサンプルを見せてくれる。たしかに、8mm角の細かい文字まではっきりとプリントされていて、きれい。
やがて第二、第三のお客さんへとつながっていき、今では会社の柱の一つへと成長した。
そんな中川さんとコンビを組むのが井上さん。
営業サポートと生産・商品管理を担当しており、今回募集する人の仕事内容に近い。
初対面にもかかわらず「どこかでお会いしました?」と聞きたくなる自然体の笑顔のもちぬし。
そんな井上さんがいなかったら、ヤギセイの今は違う姿だったかもしれない。
井上さんが入社以来取り組んできたのは、じわじわと自分の役割を広げること。
2014年の入社当時、職種は営業事務。営業担当が受注した注文伝票の作成や出荷指示、納品書発行、月毎の棚卸業務、電話対応などを行う仕事だった。
けれども、隣にいる中川さんの仕事は日に日に広がっていく。その姿を見て、井上さんは自分をアップデートしていった。
「『わたしがこういう動きをしたら、中川さんが助かるだろうな』と気づいたところから、仕事を手伝っていきました」
そこから、営業サポートと商品・生産管理というあらたな役職が生まれていく。
今では、中川さんがオリジナルタオルを受注すると、井上さんが工場との窓口になっているそう。
工場に制作の依頼を行い、納期を確認して、デザインデータをもとにサンプルを作成。中川さんとともに品質チェックを行う。タオルが完成すると、包装の手配や、出荷指示など納品に向けた仕事も。
緊急時には、中川さんの代わりに営業的な判断を行うこともある。
「発注していたタオル工場でトラブルが起きて、納期に遅れてしまうという連絡がきたことがあります。今すぐ対応が必要だけれど、中川さんは大事な商談中で連絡がとれない」
「そこで、わたしの判断で急きょ別の工場に依頼したんです。最後は、わたしが軽バンを運転して商品を移動させました(笑)」
中川さんが自ら事業をつくり、井上さんが自分の役割を広げていくと、会社のかたちそのものが生きもののように変化していく。
もちろん二人だけじゃない。働く一人ひとりが「こうしたほうがいいだろうな」と、ちいさな積み重ねをしていく土壌があり、それを受け入れるしなやかさがあるからこそ、ヤギセイは100年続いてきた。
最後にもう一度、代表の岡本静香さんに話を聞いた。
3代目社長の司さんのもとに生まれたしづかさん。もともとヤギセイを継ぐ考えはなかった。
大手企業へ就職すると、企業買収に伴う組織再編を経験。大きな組織の一員として働く将来を見つめた。
そして、2009年にヤギセイへ入社する。
「ヤギセイの前の社屋はアットホームというか…2階が家になっていて(笑)。昭和の時代には、創業者である八木清三さんと、住み込みで働く“丁稚(でっち)”のみなさんが暮らしていたんです。仕事が終わると、清三さんたちはみんなで近所の銭湯に向かってね」
初夏になると裏庭にあったびわの木が実をつけた。冬になればすきま風が吹いて、室内とは思えないほどみんなで着こんで働いた。アットホームということばさえ味気なく思えるような、人と人がわいわいとひしめき合いながら働く空気感の会社だった。
2018年に本社を移転してからは、冬でもぽかぽかと仕事ができるようになったけれど、当時の雰囲気は今も受け継がれている。
2023年7月に代表に就任するまでの15年間。しづかさんが取り組んできたことの一つが、じわじわとヤギセイの基礎代謝を高めていくことだった。
清三さんの代から続くどこか人の匂いのする社風を大切に受け継ぎつつ、変化のスピードが年々早まっている時代により合う会社へ。
ITを活用した職場環境を整備し、男女のわけへだてなく人が活躍しやすい会社づくりに取り組んでいく。新卒・中途採用ともに力を注ぎ、産休や育休の制度も整えていくと、社員の男女比も女性が半数を占めるように。
「ずっと働いてもいい職場だと思うんです」
産休や育児休暇はもちろん、働く人の育児の状況に合わせて、在宅勤務も取り入れはじめた。
コロナ禍には、会社の柱であるホテルリネン事業が激減。クラウドファンディングを活用したタオルブランドの新規事業にも取り組んだ。
すべてがはじめてのことで、正解はないからこそ、みんなで話し合いながら一つひとつ答えを出していく。もちろん毎日の仕事だってあるから、それは大変なときだってある。
ここで「今は、転職があたりまえの時代ですし、一つの会社に3年勤めたら『もう3年か』という感じかもしれませんね。でも、それくらいでやめたら、もったいない会社かもしれません」としづかさん。
「ヤギセイで働いていると、時間の捉え方が変わるような気がします。気づいたら10年経っていた。まだまだ20年という感じなんです」
「まだまだ20年」の背景には、100年続くヤギセイならではの長いお付き合いがある。
創業当時から、一緒にものづくりをしている大阪の晒工場。7年に一度の大祭に向けて、手ぬぐいを注文する神社。5年おきに受注のあるホテルのリネン…。
数年ぶりに日本各地でイベントやお祭りが再開された2023年。タオルや手ぬぐいの需要が爆増し、ヤギセイの業績は好調だけれど、コロナ禍で失ったものもある。
「晒生地が足りないんです。つねに数万枚分保管していた在庫も尽きてしまうほどで。もともと高齢化が進んでいた業界だったのもあり、コロナ禍を機に廃業する工場が出てきました」
繊維産業のものづくりは、分業体制のもと成長してきた。その歯が一つ抜けて、二つ抜けて。
「創業100年を迎えてからの変化のスピードがほんとうに早い。4年間でもこれだけ大きなことが起きています。今後、ヤギセイの役割も柔軟にとらえていたいんです。もしかしたら、ヤギセイが自らものづくりをはじめる可能性だってゼロじゃありません」
変化の時代にあって、大切にしたいことがある。
「『これしかしたくない』よりも『やってみよう』と楽しんでいける仲間が増えるといいな。ヤギセイという会社ももっと楽しくなるし、そのほうが、個人の豊かさや幸せにつながる気がするんです」
100年つづく企業は0.1%。
働く一人ひとりの「こうしたほうがいいだろうな」というちいさな積み重ねが、ヤギセイをつくる。これからも、変わらないことです。
(2023/10/24 取材 大越はじめ)
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